年の瀬に日記をはじめてみる
日記を書く、ということ
ブログを作ってみることにした。
2004年ごろから、何度かブログを書いてはやめている。 設定だけしてやめたことも、設定でくじけたことも数知れず。
そもそも子どものころから日記というものが苦手だ。 コツコツ続けるということができない。書くこともそんなに得意じゃない。
でも、日常のどこかでちょっとしたひっかかりができて、それが部屋の隅のホコリのようにひっそり積もっていき、頭を占有していくのは、決して愉快ではない。 いいことだってそうだ。おいしいものや愉快な出会いもLINEやFacebookでは盛り上がるが、そのうち流れてしまう。だけど、あの時のちょっとうれしかったことが、何週間も自分をにこやかにさせてくれることもある。
ちょっと残しておきたい、でもいったん寝かしておきたい。そんなものごとを書いていきたい。
どんな風に書くか
とはいえ、積極的に表沙汰にしたいものばかりでもない。だから、TwitterやFacebookでもない。 絵面的にいいことはInstagramかもしれない。でも、あれはやっぱり写真単位でなかなかエピソードをまとめられない。
…と考え始めるとキリがない。
日記は保管されるべき記録(ストック)ではなく、毎日の生活の断面をそっと切り取っただけのもの。方丈記を持ち出すまでもなく、我々の生活は流れている。断面のようで断面ではない。 フローとしての日記 - okadamktの日記
okadamktさんのように考えるのがちょうどいいのかもしれない。
まあ、クイックプロトタイピングのひとつだと思ってやってみましょ。