ときどきoffbeat

みつける・かけよる・つまずく日々

やらなければならないの?(社内起業の場合)

農業参入を希望した企業に雇われた農業青年と話をした。 ぱっとしなかった農業部門になかなかないほどの大きな計画を持ち込み、実現させつつある。 ときどき電話がかかってくるが、いろいろ壁にぶつかりながらもいつも前向きだ。

そんな彼の声が浮かない。

思ったように進まないのであせっているという。 確かに規模はきゅうに大きくなったし、天候も悪い。でもそんなことは今までにもあった。 社内の協力がない、上司の理解がない、それはずっとずっとそうだ。 自分の計画の都合のいいところだけつままれてコミットさせられる、 できないときは自分ひとりのせい…それも今に始まったことじゃないよね?

彼はぽつんと言った。

利害が一致したと思ったんだ。 自分がやりたいことができると思ったし、 会社も自由にやってほしいと言った。だから転職した。 オレは責任を取らないつもりじゃない。精一杯やる。 でも、思うように収穫できずにでた損失の責任は、自分ひとりで背負わなければいけないもの? それっていつまでオレひとりで背負うの?

企業は責任を果たすために生まれたのではない|岩佐 文夫|note

このエッセイは、企業の経営者や創業者をイメージして描かれているかもしれない。 だから、

企業が社会的責任を果たすのは、正しいことだが、それが目標では、あまりに目線が低すぎないか。どんなことであれ「やるべき」ラインは、「なしとげたいこと」のラインより、はるかに下に設定されている。「最低限のやるべきことを目指す」では、ワクワクもないし、「やってやろう」というチャレンジ意欲も湧かない。

となるのだろう。 社内新規事業では、「なしとげたいこと」がイコール「やるべき」ラインとなってしまう。 そんな時は、経営側は「何かわからないけどとにかくやって」というモードからスタートする。 具体的な方法が見えないから委嘱するのはわからないでもない。 でも、最初は幸せだったはずの新規事業が、いつしか「最低限のやるべきことを目指す」どころか「できていない」になるのは切ない。