日本一農業しやすい町づくり
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000004.000028395.html
先日アグリテックの記事で見た宮崎の公益法人が、こんどは会社と。
いろんなやり方があるものだ。
戦争と農業 〜トラクターの歴史
http://president.jp/articles/-/23452?page=5
農業の知識を増やそうと、毎日農業ネタを探しているのだが、これには驚いた。
農業男子はトラクターに凝りたがる傾向が見られるけれど、戦争とこんなに近いものだったとは…
ファシリテーション文具の市場
やらなければならないの?(社内起業の場合)
農業参入を希望した企業に雇われた農業青年と話をした。 ぱっとしなかった農業部門になかなかないほどの大きな計画を持ち込み、実現させつつある。 ときどき電話がかかってくるが、いろいろ壁にぶつかりながらもいつも前向きだ。
そんな彼の声が浮かない。
思ったように進まないのであせっているという。 確かに規模はきゅうに大きくなったし、天候も悪い。でもそんなことは今までにもあった。 社内の協力がない、上司の理解がない、それはずっとずっとそうだ。 自分の計画の都合のいいところだけつままれてコミットさせられる、 できないときは自分ひとりのせい…それも今に始まったことじゃないよね?
彼はぽつんと言った。
利害が一致したと思ったんだ。 自分がやりたいことができると思ったし、 会社も自由にやってほしいと言った。だから転職した。 オレは責任を取らないつもりじゃない。精一杯やる。 でも、思うように収穫できずにでた損失の責任は、自分ひとりで背負わなければいけないもの? それっていつまでオレひとりで背負うの?
企業は責任を果たすために生まれたのではない|岩佐 文夫|note
このエッセイは、企業の経営者や創業者をイメージして描かれているかもしれない。 だから、
企業が社会的責任を果たすのは、正しいことだが、それが目標では、あまりに目線が低すぎないか。どんなことであれ「やるべき」ラインは、「なしとげたいこと」のラインより、はるかに下に設定されている。「最低限のやるべきことを目指す」では、ワクワクもないし、「やってやろう」というチャレンジ意欲も湧かない。
となるのだろう。 社内新規事業では、「なしとげたいこと」がイコール「やるべき」ラインとなってしまう。 そんな時は、経営側は「何かわからないけどとにかくやって」というモードからスタートする。 具体的な方法が見えないから委嘱するのはわからないでもない。 でも、最初は幸せだったはずの新規事業が、いつしか「最低限のやるべきことを目指す」どころか「できていない」になるのは切ない。
10月の台風
この冬もキャベツが高騰するだろう…
センスは伝わるか
新しい仕事がすっとできる人と時間がかかる人、いつまでもできない人がいる。 黙っていると差は広がる。 差を吸収するために「しくみ化」する、というができっこない、なぜならセンスだからだ、という話になった。
しばらくすると、いや、センスといっても程度の問題ではないか、となった。 ある集団のなかでセンスがよくても、母集団が変わればふつうになることだってある。 またしばらく、これはセンスか否か、みたいなやり取りをしながら、この本を思い出した。
1296夜『理解の秘密』リチャード・ワーマン|松岡正剛の千夜千冊
松岡正剛の紹介だからというのもあるが、こんなに広範囲にかかれていたっけ、と思う。 (改めて読むと、実にイシス編集学校的だ。もう一度本に戻ってみよう) 業務マニュアルの例で思い出すのはこんな内容だった。
情報過多にならないよう、必要十分な情報のみを示すことが大切だ、ということになります。必要以上の情報が示されたために、混乱を生むことがあります。したがって、<どこまで詳しく知る必要があるのかをはっきりさせよう>…という提言になります。
しくみ化というのは、ある意味考えずにできる状態にするということだとすれば、必要十分な情報のみ示すという前提は重要だ。 そして、センスがある、というのは、自分のなかにわからないものをわかろうとする「しくみ」を持っているかどうか・・・なのかもしれない。 ほんとうに器用なこともあるのだろうが、だいたいは数稽古を積んでいる。 数稽古の結果、「しくみ」化した範囲が広がったり深まったりして、それがセンスのよさにつながっている、そんな理解ができそうだ。